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パリ番外編2

ラ.ロティスリー・ダン・ファス


Z子の悲劇 ~パリ番外編 3~
Z子の悲劇(27) ~パリ編 2~ (2002.05.12)
徹夜で旅行前夜を準備に当てたZ子とぼくは、JALパリ行便の機内でも妙にハイな気分で一睡もしないまま、パリに着いてしまいました。シャルル・ドゴール空港に着いたのが夕方の5時ごろ、手続を終えてそのままタクシーでパリ市内へ向い、7時頃にはセーヌ川左岸のホテル「ケイレ KAYRE」にチェックインしました。

部屋に荷物を置いて、すぐに今夜の夕食予定のレストラン「ラ.ロティスリー・ダン・ファス La Rotisserie dユen face」に向かいました。ホテルを出てセーヌ川に沿ってサン・ミッシェルまで歩き、オデオン座の方に小道を曲がった路地の奥に「ラ.ロティスリー・ダン・ファス」はありました。この店は、ヌーベル・キュジーヌで名を馳せたジャック・カーニャのセカンド・ラインの店鋪としてパリで大人気のレストランなのです。

店は、さすがに満員でしたが、30分ほど待っただけでテーブルに着くことができました。久しぶりの本場フランス料理を楽しみに、Z子はウサギのシチュー、ぼくは魚のメニューの中から魚の名前もわからないままフライの料理を頼みました。この時点で、Z子とぼくは、すでにもう45時間以上も眠っていなかったのですが・・・。

料理を待つ間に、ぼくはトイレに行っておこうと思い席を立ったのですが、この直後、今度は、ぼくが倒れてしまうのです。イスを立ったとたんに動悸が始まり、歩くうちに呼吸が荒くなり、壁をつたうようにやっとのことでトイレまでたどり着き、しゃがみ込んでしまいました。この時ぼくは、このまま死んでしまうかも知れないと思った程、生まれて初めて味わう異常体験だったのです。とにかくここで倒れては、大騒動になり旅行が台無しになってしまうと思い、何とか気を取り直して、呼吸を整え席に戻ったのですが、もう食事どころではなく、Z子のウサギのシチューに少し口を付けただけで店を出てしまいました。

ホテルに帰りベッドで横になり、何とか持ち直すのですが、この時、ぼくを救ったのは、先程、Z子が飛行機内でイスラエル人の医師から分けてもらった気付け薬だったのです。(写真)この薬のお陰で、今のぼくとZ子の命があるのです。20種類の花のエキスを抽出した「レスキュー・レメディ」という天然の気付け薬で、精神をを落ち着かせる事により、肉体をうまくコントロールするオールマイティな薬?だそうです。帰国後、日本でも見かけた事があります。

さて、ぼくが「ラ.ロティスリー・ダン・ファス」で注文した魚のフライは、日本で言う「いりこ」位の小魚を100尾?位揚げた料理で、見るからにフランス料理と言うイメージからかけ離れたものだったのです。あんな料理を、あの時の体調ではとても食べる気になれませんでした。


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